「ジャーナリストロボットシステム」の開発
研究の目的は,身近なイベントの様子や近隣での事故など日常生活の中で起こるニュースを発見し, 画像情報から直接記事を生成するジャーナリストロボットの開発です. 本研究では,画像の持つニュース性に着目します.具体的には,
実験は,インターネット上のニュースサイトから入手したデータと, 実機によって得られたデータの2種類を用いて行いました. まず,ウェブニュースを用いて,画像を用いた文章生成に対する手法の有効性を示し, 画像認識に用いた画像特徴量の,他の手法に対する優位性も明らかにしました. さらに,実際のロボットを用いた実験を行い,ウェブニュースと実画像との違いを考察した上で, ウェブニュースからの学習結果が実世界におけるニュース発見に適用可能であることを示しました. さらに,実世界においても,ウェブニュースと同様の手法で画像の言語による表現が可能である事を示しました.
代表委員(生徒会役員のような最上位組織)に入り損ねて、空いていたので入った広報委員会。小学校5-6年次の2年間続けて、気付けば委員長でした。月刊の壁新聞。学校は休んだけれど新聞が気になって、放課後窓から忍び込んで割り付けたりしたこともありました。連載として記憶しているのが、4コママンガと「季節の花」。七不思議を探そうとして足りなかったとか、ダメな思い出があります。
中学1年の自己紹介で、「小学校では新聞を作っていたので、中学でもそういった活動に関われればと考えています」といったら、先生に「うちの中学には新聞委員会はないから無理ね。生徒会で会報でも出したらどう?」と言われました。というわけで役員に立候補して、会報を発行。不定期だったような気がしますが、あんまり記憶がありません。新聞を出すことが目的だったにしては、役員は雑務が多すぎました。活動報告が目的だったので、独自の内容はそこまでありませんでした。持ち回りだったからそこまで多く担当しなかったし。今だったら「生徒会ブログ」になるような内容。
高校見学のときに「新聞部室」なる文字を見つけて、合格したら絶対入るぞと決めていた、桐陰新聞。不定期刊だったのですが、2年次(=運営学年になったとき)に一念発起して、隔週にしました。部長には迷惑かけました。新しく始めた記事としては、速報と詳報の2号に分けた「院戦報告」、合格発表の日に必死で集めた「合格者インタビュー」、年度終わりに編集部で頭を抱えた「新年度担任団予想」が好評でした。
合格したら絶対入るぞと決めていた、東大新聞。「東大スポーツ」も検討したのですが、年2回なのとスポーツ記事しかないのが合わないと思いました。週刊なので、人並みの苦労はしました。授業との両立とかバイトとの両立とか。大学で過ごした時間の大半を捧げた組織です。一番思い入れのある仕事は、2年次の「読書特集号」。好評だった記事は「連載 科学技術と倫理」「教授の手帳術」でしょうか。
財団法人 東京大学新聞社
工学部に入って、広報誌があることを知って、これは作るしかないと加わった工学部広報アシスタント。リーダーまで勤めてしまいました。工学部専門誌なので、東大新聞とは異なる面白さがありました。
東京大学工学部 広報誌 Ttime!
広報アシスタントブログ
工学部の有志4人で結成された「学生編集部」。見開きの連載「われら、学生編集部!」担当しました。他大との持ち回り連載だったので、担当は3回でしたが、就活生にとって必要な情報を考えるきっかけになりました。休日のリクルート社で喧々諤々やったのも、良い思い出。
リクルート『就職ジャーナル』